*敬称略
1872年(明治5年)
福原有信が東京・銀座に日本で初めての民間洋風調剤薬局(後の資生堂)を創業
1902年(明治35年)
資生堂薬局内にソーダ水や当時まだめずらしかったアイスクリームを製造販売する日本で初めてのソーダファウンテンが設けられる。この「ソーダファウンテン」が、後に飲食業として「資生堂パーラー」に発展。(創業の地は、出雲町1番地、現在の東京銀座資生堂ビルの所在地(銀座8-8-3))
新橋の芸者衆が当時の顧客。ソーダ水1杯について、化粧水「オイデルミン」(1897年発売)を1本景品として付け、酔客の喉の渇きをいやす最上の飲料として宣伝し大当たりし、銀座の一大名物となる。ソーダファウンテンの併設により、来客が大幅に増大したといわれている。のちに店内には、三味線のお稽古の行き来の合間にソーダ水でひと息つく芸者さん用に三味線置き場を作ったエピソードなども残っています。
1916年(大正5年)
資生堂は化粧品部を独立させ、「竹川町店」(現在のFUKUHARA GINZA ビル)とし、旧店を「出雲町店」(現在の東京銀座資生堂ビル)とし薬品部と飲料部(資生堂パーラー)を残した。
1921年(大正10年)
外装は白タイル張り、二階も白く塗装、手すりも白で統一し「白の殿堂」を意図する建物に改装する。
設計は前田健二郎(東京美術学校建築科出身。帝国ホテル設計者・アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに私淑)
1923年(大正12年)
9月の関東大震災で銀座は全焼。資生堂も竹川町の化粧品部や出雲町飲料部が全壊。
震災の2か月後の11月には出雲町に平屋建てのバラック建築が完成。営業を再開。パリ在住の洋画家・川島理一郎のデザインによるもので、白壁に紫色の窓枠という異国情緒あふれた外観が、ヨーロッパ風の空気を醸し出していた。
1928年(昭和3年)
5月 竹川町店を資生堂化粧品店として新装開店。
7月 出雲町店を「資生堂アイスクリームパーラー」として新装し、本格的な西洋料理提供するレストランを開業。
(当時の呼称には、知名度の高かった「アイスクリーム」を入れていた)
開店当時のシェフは、初代総調理長 飯田清三郎。次長が、高石鍈之助。その下にコック10人、ボーイが15人。すべて男性。小学校を出たばかりのボーイ達は、詰襟、金釦の白コート姿。頭はイガグリで、同僚や後輩を「○○どん」と呼び合っていた。
昭和初期から使用されていた銀器や磁器類は特注品
1930年(昭和5年)
銀座の町名が改名され、現在の町名となる。
(資生堂パーラーの所在地は「出雲町」から「銀座8丁目」に改名)
1932年(昭和7年)
「花椿ビスケット」の製造販売を本格的に開始
1934年(昭和9年)
外装の円窓を四角に、内装の手すりなどを改装
1950年(昭和25年)
「花椿ビスケット」戦後の発売を再開
1954年(昭和29年)
「株式会社資生堂パーラー」と商標変更
1962年(昭和37年)
9月 資生堂会館落成。谷口吉郎の設計(東宮御所を設計した建築家)。地上9階、地下3階、地上から搭屋上辺まで、50.075mあり、当時の銀座では、最高層の建築物だった。
1973年(昭和48年)
12月 資生堂会館全面改装を経て、資生堂パーラービルとしてリニューアルする。フランス料理の「レストラン ロオジエ」、「バー ロオジエ」を開店し、喫茶室「サロン・ド・カフェ」を新設
1974年(昭和49年)
レトルト食品「グルメフーズ」発売開始
1978年(昭和53年)
「ブランデーケーキ」発売
1978年(昭和53年)
「チーズケーキ」発売
1984年(昭和59年)
東京・内幸町に「レストラン キュイジーヌシセイドー」オープン
1985年(昭和60年)
「資生堂パーラー 横浜髙島屋店」オープン
1985年(昭和60年)
「資生堂パーラー 横浜そごう店」オープン
1986年(昭和61年)
ジャック・ボリーを「レストラン ロオジエ」のグランシェフに迎える。
1989年(昭和64年)
グルメフーズ リニューアル。トータルデザインは松永真。パッケージデザインはビビアン・フレッシャー。
1990年(平成2年)
洋菓子 全面リニューアル。トータルデザインは仲條正義。
1992年(平成4年)
埼玉県春日部市に製菓工場を操業
1994年(平成6年)
10月 ラ・ガナシュ発売
1996年(平成8年)
6月 資生堂パーラーワイン ブルーボトル発売。以降、さまざまなカラーボトルやカレンダーワインを発売した。
1996年(平成8年)
10月 「キュイジーヌ シセイドー」リニューアルオープン
1997年(平成9年)
6月 「資生堂パーラービル」改築のため一時閉店
1997年(平成9年)
6月 レストラン「資生堂パーラー 銀座4丁目店」オープン。
1997年(平成9年)
6月 フーズショップ&ティールーム「資生堂パーラー 銀座ショップ」オープン
スペシャルチーズケーキをはじめとする銀座ショップ限定商品の発売
1997年(平成9年)
11月 「資生堂パーラー 八重洲ショップ」オープン
1998年(平成10年)
10月 レトルト「洋食シリーズ」発売開始
1999年(平成11月)
10月「レストラン ロオジエ」並木通りに移転。リニューアルオープン
2001年(平成13年)
3月「東京銀座資生堂ビル」落成
「地区計画銀座ルール」の適用第一号の高層ビルとして完成。
旧資生堂パーラービル跡地にスペインの世界的建築家、リカルド・ボフィル氏の設計により「東京銀座資生堂ビル」を竣工。食と文化の情報発信基地として「銀座の灯台」を名乗りスタートしました。定礎には資生堂の社名の由来となった『万物資生』の文字が刻まれ、かつての銀座レンガ街をイメージした色合いの外観は銀座のシンボル的な存在として多くのお客さまに親しまれています。
2002年(平成14年)
創業100周年を迎える。山名文夫デザインのイラストをモチーフにした100周年記念商品を発売。
2003年(平成15年)
JRセントラルタワーズに「資生堂パーラー 名古屋店」オープン
2004年(平成16年)
「資生堂パーラー 日本橋店」オープン
2007年(平成19年)
3月 洋菓子をリニューアル。テーマは「ネオクラシック」
2007年(平成19年)
11月 金刀比羅宮(香川県)が「神椿」オープン
2011年(平成23年)
製菓工場が厚生労働大臣表彰“食品衛生優良施設”を受賞
2012年(平成24年)
伊勢丹新宿店にカフェ&キュイジーヌ「ル サロン ジャック・ボリー」オープン
2013年(平成25年)
資生堂銀座ビルに「ロオジエ」がリニューアルオープン
2015年(平成27年)
6月 東京銀座資生堂ビル最上階に「BAR S」オープン
2015年(平成27年)
10月 フーズ商品の全面リニューアル テーマは「銀座アヴァンギャルド」。
2016年(平成28年)
8月 海外初出店となるショップ「シンガポール髙島屋店」オープン
2016年(平成28年)
9月 日本航空 ホノルル線にて初のコラボレーション機内食「資生堂パーラー For Resort」を監修
2017年(平成29年)
創業115周年を迎える
2018年(平成30年)
5月 「資生堂パーラー サロン・ド・カフェ ラゾーナ川崎店」オープン
2018年(平成30年)
10月 新生「FARO」オープン
2019年(平成31年)
4月 資生堂グローバルイノベーションセンターに「S PARK Café」 オープン
2019年(令和元年)
5月 「資生堂パーラー 自由が丘店」オープン
銀座本店ショップ限定商品のパッケージリニューアル。
2020年(令和2年)
6月 「資生堂パーラー ザ・ハラジュク」オープン
2022年(令和4年)
創業120周年を迎える